当園は、三栖地区に移住して約170年になります。
『三栖廃寺跡』や『五郎地蔵』のある下三栖地区に腰を据え、
農業の活動拠点としています。
『三栖地区』の土地説明については、
【『三栖地区』×梅林】ページを参照願います。
三栖(みす)地区は、
元々熊野三山の御領地の1つでした。
熊野三山へ『御簾:みす』を奉った事から、
【ミス】と名付けられたと言われてます。
後に、現在の【三栖】の漢字表記が使われる
ようになったと言われてます。
三栖地区には、
熊野九十九王子の1つ【三栖王子】が
存在します。
報恩寺脇の山道を歩くと、【三栖王子】跡の
石碑があります。
非常に見晴らしが良く、三栖を一望することができます。
【三栖王子】は、
すぐ側を流れる谷川に王子社が映って見えたことから、
江戸時代には主に【影見王子】と呼ばれていました。
本来の【熊野詣】ルートは、
【三栖王子】から、現在の上富田町岡地区を越し、
【八上王子】⇒【稲葉根王子】へと続くコースです。
室町時代には、上三栖を経て、【潮見峠】を越える街道が開かれたようです。
現在は、潮見峠ルート途中にある【珠簾神社】に合祀されています。
※画像をクリックすると、写真の書籍に記載されてる『三栖地区の産業』ページにジャンプします。
先代【父】所有の書籍には、
『紀南地方の方言に関する特色』について、5ページに渡り記載されています。
『方言の特色&74方言』については、別途ページに記しています。
※上の『』内の青文字をクリックすると、該当ページにジャンプします。